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座談会

NPO転職後のキャリアは?
ソーシャルセクターを卒業し
新たな道を歩んでいる3名が、
気になる“その後”を
せきららに語ってくれました。

山口 幹生

山口 幹生

山口商店合同会社 代表社員CEO
前職:株式会社リヴァンプ、
一般社団法人RCF

本木 裕子

本木 裕子

NPO法人ETIC.(エティック)
前職:認定NPO法人かものはしプロジェクト、
PR会社

山内 悠太

山内 悠太

フリーランス ファンドレイザー/マーケター
前職:合同会社つむぎマーケティング、
認定NPO法人カタリバ

※ 2017年6月時点での肩書きです

※本コンテンツは、2016年1月に行われた座談会の全文書き起こしです。
かなり読み応えのあるボリュームですが、リアルな声をそっくりそのままお届けします。

これまでの
キャリアについて

企業からソーシャルへ。
ソーシャルから企業へ。
それぞれが歩んできた道。

山口
皆さん、初めまして。本日はよろしくお願いします。
本木
こちらこそよろしくお願いします。
山内
今日の座談会を楽しみにしていました。お手柔らかにお願いします(笑)
山口
本日のテーマは「NPO転職後のキャリア」ということなんですが、まずは一人ひとりの“これまで”をご紹介してもらった方がいいですかね。
本木
じゃあ、言い出しっぺの山口さんからどうぞ(笑)
写真1
山口
私からですか(笑) 私はもともと、2004年に大手家電メーカーに就職しました。とりあえず入った会社で、まあ、いわゆるスーパー激務、ブラック企業の象徴のような場所で(笑)
本木
怒られちゃいますよ(笑)
山口
ですね(笑) 今のは冗談ですが、当時は赤字の事業に所属していまして。会社全体を立て直さないといけない時期だったので、朝から晩までというか、早朝まで仕事するみたいなのがずっと続いていました。それをやっていくなかで、ただ物を売ってお金を儲けるということに疑問を持つようになったんです。そのとき震災が起きて。ちょうど2011年で、テレビつけたら港がブワーっていうニュースだけが延々と流れていたんです。まずは家族に連絡し、そのときにすごく色々なことを疑問に思って。会社を辞めて、日本に帰ろうと思ったんですね。で、ご縁があって復興支援などを手掛けているRCFに参加。釜石チームのメンバーとして現地で1年間働いていました。もともと自分なりに1年間って決めていたところもあったので、ソーシャルセクターで学んだことを活かして転職。今は株式会社リヴァンプという企業再生を中心に事業を展開している会社に入って、2年とちょっとが経ちます。
本木
リヴァンプさんではどんな仕事を?
山口
けっこう幅広い仕事をしています。健康エンターテインメント事業、国の事業と東北のことも少しやっていまして。
山内
ソーシャルセクターの延長線上にあるお仕事ですか?
山口
そうですね。ある種、当時の延長線上の仕事だと思います。本木さんは、どんな経緯で今の仕事をするようになったんですか?
本木
私、全然、山口さんみたいに立派じゃない(笑)
山口
いえいえ(笑)
写真2
本木
私は2007年に大学を卒業して、外資系の消費財メーカーに入社しました。シャンプーとか洗剤とか作っているところなんですけれども。ただ、心のどこかで「一生に一度は必ず国際協力に挑戦したい」という想いがくすぶっていて。
山内
その気持ちが膨らんで?
本木
そうなんです。それで2010年に会社を辞めて、認定NPO法人かものはしプロジェクトという、子どもが売られないようにする団体に転職しました。そこで働いていたときに寄付者の方とのコミュニケーションとか、PRなどの仕事が面白いなというふうに思うようになって、大手広告代理店系列のプロモーション会社へ。そこでの仕事はやりがいもあって楽しかったんですが、夫の海外赴任をきっかけに退職したんですね。インドに行くっていうので、じゃあ、私もインドだったらいいかなと思って。そして現地で日系のIT企業で働き始めました。それもそれで面白くて、インド人と一緒に働くのも楽しいですし、上司にもすごく恵まれていましたね。で、その後、日本に帰ってきてETIC.に参加することになりました。
山内
現在のお仕事内容というのは?
本木
次世代起業家型リーダーの育成ですね。実はETIC.も、山口さんが働いていたRCFとご一緒させていただくことがあるんですよ。
山口
そうなんですか。つながりますね(笑)
本木
ETIC.には色んな事業があるんですけれども、私が所属しているのはソーシャルイノベーション事業部。社会起業家の創業支援はもちろんなんですが、すでに軌道に乗っている組織とは、一緒に日本を変えるパートナーとして行動をともにしています。
山内
それでは、次は私の番ですかね(笑)
本木
よろしくお願いします(笑)
写真3
山内
改めまして山内と申します。33歳で、今年に娘が産まれたばかりで、デレデレしながら過ごしております(笑)。経歴としては、2005年に大学を卒業して、大手電機メーカーに就職。広報やCSRを担当していました。さきほど山口さんも仰っていましたが、私のいた会社もひどい赤字に苦しんでいまして。良いものを作ってお客さんに喜んでもらったり、社会の役に立っているという実感はあっても、やっぱり収益というのは非常に厳しい状況になっていました。仕事は一生懸命頑張って楽しかったのですが、変わらない状況に無力感を感じて、「ちゃんとお金を稼いで儲かる仕組みを作れるような人間になりたい!」と転職をしました。
山口
会社の状況は、転身を考えるひとつのきっかけになりますね。
山内
そうなんです。それで次に広告代理店のベンチャー企業に行きまして、いかにチラシを配ったらレスポンス、反応があるかといったようなことを企画したりとか、広告のコピーを書いたりとか、ダイレクトマーケティングを担当しておりました。そしてソーシャルに行く転機となったのが、さっき山口さんも仰っていた東日本大震災でして。
山口
同じですね。
山内
はい。私も「自分にも何かできることがあるんじゃないか」とか、「もっと社会の役に立っているという実感がある仕事ができないか」と考えるようになりました。転職先の認定NPO法人カタリバには、実は大学生のときにボランティアとして参加していたんですけれども、その当時はまだ職員が創業者2名だけで、その2人がアルバイトをしながらなんとか活動資金を集めていたという状況だったんです。ただ、当時学生だった僕には、何もできなくて・・「いつかは力をつけて、恩返ししたい!」と思っていました。カタリバが被災地支援事業を立ち上げるというタイミングで声をかけてもらって、「今まで培ってきたマーケティングのスキルが、役に立つのではないか?」と転職を決心しました。そこで3年間、「ファンドレイジング」という寄付を集める部門の責任者をさせてもらって、昨年、フリーランスとして独立しました。もともとやっていた企業のマーケティングのお手伝い、NPOさんの寄付集めのサポートなどをしています。

ソーシャルセクターの
イメージについて

既存の価値観にとらわれず、
自分の力で道を切り拓く。
そんなかっこ良さがあった。

山内
そもそも皆さんは企業にいたとき、ソーシャルセクターに対してどんなイメージを持たれていましたか?
山口
大学時代、僕は部活をずっとやっていたので、世の中のことに対して無知だったんですよ、圧倒的に(笑) 社会貢献活動をしている人たちとは、ある意味、対極にいるような、ひたすら僕は「どうやったらもっと早く自分が走れるようになるのか」みたいな考えしかしてなかったんです(笑) 社会人になっても接点はそんなになくて。なんとなくテレビで見る社会貢献をしている人たちは、僕とは違うんだろうなとずっと思っていました(笑) で、最初に“ソーシャル”という言葉に出会ったのが、多分、2005年か、2006年ごろ。当時は会社勤めがあまりにも面白くなくて、「世の中にはもっと面白いことがあるはずだ」みたいなことを友だちと徒党を組んで毎晩のように議論していたんです。そんなある日、友だちが「最近、イギリスが進んでいるらしいよ」と。「ブレア首相の下には30代のブレーンがたくさんいて、そのブレーンを支えているのは20代のソーシャルアントレプレナーらしいよ」と。今から10年前ぐらいなんですけど、当時は「なんか、むかつくな」と(笑) 「俺らもカッコイイことをしたいよね」と。いま思えばそれがすべての始まりでしたが、当時はそれぐらいのイメージしかなかったですね。
写真4
山内
本木さんにも、ソーシャルに対するイメージを伺ってもいいですかね。
本木
20代前半までもっとこのソーシャルな世界は、小さな世界だと思っていて。草の根的な感じのイメージを持っていました。なので、何か組織もすごく小さい組織ばかりたくさんあって、さっきのカタリバさんの話じゃないですけど、薄給で頑張るみたいなそういうところもあるのかなというふうに思っていましたね(笑)。大きくても30人ぐらいだろうみたいな。ブレア首相の下にソーシャルアントレプレナーがいる、というのも知らなかったし、世の中を動かしているのは大きな企業だけでなく行政やソーシャルセクター、たくさんの人たちがプレーヤーとしているんだということも見えていなかったかもしれません。今は社会全体をもう少し見られるようになって、NPOに対する見方も大きく変わりましたけど(笑)
山口
山内さんご自身はどんなイメージを持たれていたんですか?
山内
プラスとマイナスの両面で見えていたところがありましたね。プラスの面は、すごくカッコイイなということ。私が初めて社会起業家とか、ソーシャルアントレプレナーとかを知ったのは、大学生の終わりのころで。就職を控えてモヤモヤしていたころで、国家公務員になろうかとも思っていたんですけど、「社会の役に立つことをしたい。でも、巨大な組織にしばられてしまって、自由に動けないのは嫌だな」と思ったときに、とある本でアメリカでは「社会起業家」といって、社会貢献と収益を両立させながら新しい事業を興している人たちがいると知ったんです。で、そのモデルってすごいなって思いました。そうこうしていたら、実際、日本でもソーシャルアントレプレナーとして活躍される方というのが登場してきて。で、いつかは自分もそういった世界に入って、何かできたらいいなと思っていました。ただ、その一方で「じゃあ、実際としてはどうなんだろう」という疑問も持っていて、大学時代にボランティア活動をしていた縁もあって、NPOの世界もなじみはあったのですが、薄給で長時間働いている人も多いように正直その当時は見えて。20代の若い人たちが本当にエネルギーで乗り切っているように思えて、「自分が入ったら同じようにできるかな」という不安も感じていましたね。
山口
続けられるかなみたいな?
山内
そうですね。そんなことを思いながら、モヤモヤしていました(笑)
山口
やっぱり、ひとつは新しいというのがあると思うんですよ。今までになかったことをやって、世の中のためになって、「すげえ人たちだ」と言われているみたいなことが単純にかっこいい(笑)
本木
ちょっと切り開いているみたいな感じですかね。
山口
当時、具体的なイメージがなかったので、ソーシャルアントレプレナーってなんとなくパリっとスーツを着た人たちが、社会のためにバシバシ切り込んでいるみたいなイメージでしたね(笑)。
山内
事業の内容というより、人物的なというか、生き様的なかっこ良さみたいなものを感じていたということですかね?
山口
そういうことですね。
写真5
山内
もしかしたら、僕も山口さんと少し共通する部分もあるかもしれません。私が就職活動をしていた当時は、同級生も国家公務員とか、弁護士とか、公認会計士とか、そういう資格系なのか、大手企業もしくは外資系の金融とか、コンサルとか、そういうところを目指していました。で、そういった既存の価値観にとらわれずに、自分の力を使って人生を歩んでいるというところがすごくかっこ良かった。ビジネスの世界で事業を立ち上げている方ももちろんすごいし、カッコイイんですけれども、自分のためとか、お金のためだけじゃなくって、他人のために率先して取り組んでいるっていうところにより惹かれたんだろうと、今、掘り下げて考えながら気づきました(笑)
本木
なるほど。私も社会起業家が、ただボランティアでないというところがすごく重要だというふうに思っていて。本来であれば仕事にはなり得ないようなものに、知恵を使ってビジネスとしてやっていく。そういうところが、醍醐味なんじゃないかなと思うし、私も今、そういう人たちはとてもカッコイイ存在だなって思います。

転職を決意した
理由について

企業とNPOの
垣根はなくなってきている。
最終的には、勢いも大事。

山内
ソーシャルセクターに対して色々とイメージもあったと思いますが、そこから実際に飛び込めた理由ってどのへんにありましたか?
山口
ソーシャルセクターと、ビジネスセクターの狭間って僕のなかであまりなくて。NPOも企業もプロセスがちょっと違うだけで、世の中の人のためにちゃんとなるという結果論はほぼ一緒だと思うんですね。東北のためにできることのなかで、僕の中で一番頑張っているようにみえた人たちがRCFだった、そしてそれがたまたま一般社団法人だったというだけだと思っています。
本木
私、NPOに就職したのが、2回目なんですけれども。今、山口さんが仰ってくれたように、ソーシャルセクターとビジネスセクターの狭間というのは、本当にあるのかな?くらいに思っていて。ビジネスも、ソーシャルじゃないのかっていうと違わないような気もしますし。企業だって世の中の人のためにならない商品を売っていたら、ビジネスにならないですしね。なので、そんなにソーシャルか、ソーシャルじゃないかというところよりも、大企業か、中小企業かぐらいの差。
山内
では、本木さんは普通の転職先のひとつとして捉えていた感じですかね。
写真6
本木
そうですね。当時は別に誰かを養わなきゃいけないとかなかったですし(笑) NPOには薄給激務というイメージがあるかもしれませんが、それは単に大企業か中小企業かぐらいの差で。実際、NPOによってはそんなこともなかったりしますし、逆に企業よりも給料が高いところもあるし。だからあまりハードルの高さを感じていなくて、転職活動のときは「国際協力の仕事をしたい」という軸だけを持って企業もNPOも行政も一緒に見ていました。
山口
山内さんご自身はどうだったんですか?
山内
東日本大震災があって、働き方を見つめ直していたタイミングに「カタリバに戻って来ない?」と声をかけてもらって。ちょうど重なったので、具体的な話をもらった当日に当時勤めていた会社の上司に話をして(笑) エイヤ!って飛び込んでしまいました。
山口
その「ええい、もう行っちゃおう」みたいな勢いって大事ですよね(笑)
山内
大事だと思います(笑)さきほど給料のお話も出ましたが、私の場合は収入面では心配していたことにはならなかったんですね。単純に組織からいただく給与だけで言うと下がりましたけれども、前に勤めていた会社の仕事をフリーランスという立場で引き続き手伝わせてもらったこともあって、生活には困らないかたちで移行することができました。副業をさせてもらう分、カタリバは「週4日で」という取り決めだったんですけど、いつの間にか週5日になって、5.5日になって、時間的には相当しんどかったのですが(笑)
本木
あるある(笑)
山口
つい思いが先行して勤務日数が増えてしまう(笑)
山内
そうなんです(笑)収入面だけでなく、もうひとつの不安として、恥ずかしい話ですが「世間体」のようなものもありました。「NPOで働く」というと応援してくれる友人ももちろん多かったですが、大学や高校の友人の多くは大手や外資、官僚など「いいとこ」に勤めていたので、どことなく引け目を感じてしまうこともありました。当時は独身だったので、「もしかして結婚できなくならないかな?」とか、そういう不安も頭をよぎりましたね(笑)
本木
周囲の理解っていう意味だと、「NPOは分からない」っていう人もかなり多いですよね。なので、私も逐一説明するみたいな感じになってます(笑) 逆に「ETIC.知ってる」とか言われるとすごく嬉しいですけど。
写真7
山口
僕の場合はあまり世間体は気にならなかったですね。イギリスにいたときに色んな人に会って、すごく多様な働き方をしている人がすぐ近くにいっぱいいたというのがプラスになっていて。極端な例かもしれないですけど、たとえば「夏は働いて冬はスキーだけ」という人も普通にいたりするんですね、海外って。そういうのを見ていたからかもしれませんが、1年間ぐらい給料が減ってもその分は投資と考えればいいと。周りにも「お金がなくても、何とかなるでしょ?」というふうに生きている友人が多いし、そういった仲間たちの存在がむしろ大きな後押しになったのかもしれません。
山内
結局、色々と不安があっても、やりがいの方が勝っていた、だから飛び込めた、ということなのかもしれませんね。

NPOの実際、
そのギャップについて

未成熟の組織、一人三役。
こうした環境でしか、
学べないこともある。

本木
皆さん、転職後のギャップとかはなかったですか?
山内
仕事を実際にやっていて気づいたのは、ステークホルダーが非常に多いということ。企業の場合でも色々なステークホルダーがいますが、お客さんのことを中心に考えていくとしっかり回っていくというところがあったなと。ただ、NPOの場合は価値を提供しているお客さんというのが、お金を払ってくださる方というのと、あと、受益者と言って実際にサービスを提供している方がいる。さらにそれに関わってくるボランティアスタッフもいるので、受益者と資金提供者だけを見ていると、ボランティアスタッフが「ちょっと自分たちが思っていたのと違う」となってしまったりとか。そこに企業の方、行政の方が協働してくださっていたりすると、そちらもしっかり立てなきゃいけないというふうに。その三方良しならぬ、四方良し、五方良しみたいなところは、ソーシャルセクターに入って痛感したギャップでしたね(笑)
写真8
山口
分かります(笑) 関係者がめちゃくちゃ多いですよね。
本木
それは私も思いました。ケタが違います(笑)
山口
町内会長さん、市議会議員の方、漁業関係の方とか色んな方がいらっしゃって。かつ、それをサポートしている様々なNPOの方が現地にいると。さらに、復興を支援したいと考えている企業の方たち、財団の方もいました。七面外交じゃないですけど、それぞれの求めているものに適切に応えていかなきゃいけないという難しさはありましたね。
山内
でも、勉強にはなりますよね。
山口
学ぶべきことも多かったですね。みんな目標がひとつなわけですよ、復興を成し遂げるというゴールは一緒。ただ、それぞれの立場があるので、それぞれの立場に立って行動をしないと、こじれるんですよ、これが(笑)。
本木
それ分かります(笑)
山内
こじれますよね(笑)
山口
おかげで調整能力的なものが、ものすごく鍛えられました。得意になりましたね。
山内
もうひとつのギャップで言うと組織体制でしょうか。その前にベンチャーにいたので慣れていたつもりだったのですが、覚悟していた以上に基盤が整っていないことが多かったですね。
これまでファンドレイジングには本格的には取り組んでこなかったということもあって、入社当時、部署には僕たった一人。インターン生をスカウトするところから、始めました。事業計画を立てて、マーケティング予算をつけてもらうよう交渉してという枠組みを決める仕事から、寄付者さん一人ひとりの情報をデータベースに移していく、という泥臭い作業まで、自分の手でやりました。当時は職員が10名強ということもあって、人事・労務もその時点では未整備でしたし、組織としての成熟度合いみたいなところは大きなギャップでしたね。
山口
僕も岩手県に飛び込んでいく先遣隊に参加していたので、本当にイチから取り組まないといけない仕事ばかりでした。仮設住宅をひとつ借りて、そこにできるだけ安い家具を全部セットアップして、水抜きしなきゃいけないなんていうのも。冬は水を止めないと凍っちゃって水がでないとかも知らないなかで、地域の人ともゼロから関係を作っていって、車を借りて、市役所の中で関係を作ってという感じでした。体制はもちろん整ってはいなかったですけど、それはそれで楽しい部分でもありました。
本木
ETIC.で働いていて面白いなと思うのは、組織の作り方というのもNPOならではのものがあるということ。たとえば、企業で何万人とか働いていたりすると、就業規則をきっちり決めていかないと上手く回らないと思うんですね。逆にNPOは基盤がないというところから活動を始めないといけないので、あえて決めすぎないみたいなことも意識的にやっていかないといけないんですよね。
山内
あえて、なんですよね。
本木
そうなんです。働き方にしても、タイムカードとか、うちの組織でやろうと思っても、かならず無理ですね(笑) でも、ETIC.だとアントレプレナーシップというのを、社会にも求めているけれども、スタッフにこそ求めているので、決めすぎずに自分が自分でできると思うことをやっていく方法をとっているんですね。例えば50人の組織だとすると、一人ずつ足して50になるんじゃなくて、1人1.3くらい頑張れるみたいな。だから、そういう不思議な力みたいなのを生かすというのは、なかなか、特殊な組織の作り方なのかなって思いますね。上司とか部下とかインターンといった肩書の垣根もとても低いですし。
写真9
山内
基盤が整っていないというところで、いい面もたくさんあって。やっぱり、その基盤を作っていくところから携われたというところ、それに伴って一人二役も、三役もやらなきゃいけなかったので、本当に学ぶべきことがたくさんあったんですね。僕の場合は、それまで広告とかマーケティングとか、そういったことをメインに仕事していたんですけど、システムをどう作ってオペレーションを回していくかみたいなことも、手探りで形にしていきました。面接をして人を採用して、育成やマネジメントをしてというのも、随分と失敗しながら試行錯誤しました。クレドや理念の策定にも携わらせてもらい、そういった未経験の業務も、他社の事例を調べたり本で学んだりしながら、実地でなんとか創り上げていきました。そういう意味では、ソーシャルセクターに来たことで、自分の可能性も大きく広がったように思います。

ソーシャルでの
成長について

広がる仲間、広がる世界。
ソーシャルセクターは、
素晴らしい出会いを与えてくれた。

山口
皆さんはソーシャルセクターで働いてどんな成長がありました?僕はとにかく、一番よかったのは、たくさんの友ができたことなんですよ。
山内
なるほど。
山口
ソーシャルに行く前まで、全く接点のなかった人たちと出会えたことは本当に財産になりました。現在も色々な舞台で活躍している友がいて。なかには友と言うのも失礼なぐらい年齢が上の方、スーパーマンもいるんですけど。たとえば釜石にいる人たちって、色んな悲しみを乗り越えてグッとこらえながら、色んな人のための活動を力強くやりきっている人たちがたくさんいるんです。本当にカッコイイなという感じの人ばかりなんですよ。実は、あんまり表に出さなかったりするとこが、かっこ良かったりするじゃないですか。
本木
あまり多くは語らないみたいな感じですか?
山口
「あの人、実はそうらしいよ」って後で聞いたりすると、「そうなんすか」みたいなことがいっぱいあるんですよね。そういう日本人の美徳と言うのかわからないですけど、あんまりアピールすることなく、淡々とやっているというのもカッコイイですし。あと、復興のタイミングで東北にいた仲間たち。仮設住宅の近くに一緒に住みながら、中学校の駅伝の先生をともにやった仲だったりするわけですよ。地元のおじちゃん、おばちゃんたちと語り合った思い出も絶対に忘れられません。そういう色んな出会いが、やっぱり一番良かったなというふうに思います。実際、その出会いのなかのひとつが、ソーシャルセクターからビジネスセクターに戻る大きな理由のひとつになりましたし。
写真10
本木
私も山口さんと同じで、世界が広がることはソーシャルセクターで得られる成長のひとつだと思います。色々な社会の課題に取り組もうとしている人とお会いすると、その問題の先にいる人たちがどんな状況なのかというのがはっきりと見えるようになってきて。最近、LGBTというのが新聞やニュースで大きく扱われるようになりましたけど、他の仕事をしていたら「そういう問題があるんだな」くらいにしか見えていなかったかもしれません。やっぱりああいうのも、ソーシャルイノベーターの人たちが切り開いていっているからこそ身近に感じることができて、彼らが抱いている考えとか、葛藤とかいうのを聞くことによってより深く世界を見れるようになると思うんです。ちょっと覗き見る程度かもしれませんが、その世界の広がりというのはひとつの魅力だと思いますね。あとは、単純にこのセクターにいる人というのは、自分を生きている人が多いなというふうに思っていて。朝、会社に行くのが嫌だなと思っている人はきっと少なくて、自分で選んで、自分の道を生きているみたいな人がすごく多いと思うんです。山口さんや山内さんもそうですが、自分の未来は自分で切り開くみたいな人が多いので、そういう方と一緒に働けること自体がとても面白いですし、お互いに刺激し合いながら成長していける環境もソーシャルセクターならではと言えるんじゃないでしょうか。
山内
僕はやりがいと成長と、ひとつずつあったなと思っています。やりがいについては、僕は広報の仕事をしていたので、カタリバの教育活動の成果を世の中に発信していました。たとえば「子どもたちが震災を経験して、色々と辛いことを乗り越えて、今はこういうふうに頑張っています」「生まれ育った町の復興に貢献しようと、生徒が自分たちでプロジェクトを立ち上げた」といった事例なのですが、そんな記事を書いていると、なんだか本当に自分でも泣きそうになっちゃうこともあるんですね。本当にすごく共感して応援したいなって思える子どもたちの行動であったり、もしくはスタッフの想いだったりというのがあって。自分が「これは100%価値がある」「世の中にぜひ広げたい」「支援してもらいたい」と思えるものを伝えられるというのは、マーケティングに携わる人間としてはとても大きなやりがいになっていました。もうひとつ。成長という面で言えば、「寄付」というかたちがない、かつ、直接的なリターンがないものを「売る」という仕事に挑戦できたことは大きかったです。その分、普通の商品を売るのと比べても、お金を出してもらう難易度がすごく高いなと痛感したのですが、「こんな伝え方をすると、社会課題を自分ごととして捉えてもらえるぞ」とか、「単に共感してもらうだけでなくて、アクションを起こしてもらうためには、こう呼びかければいい」、「支援して良かったと実感してもらうために、子どもたちのお礼の手紙を届けよう」などなど、条件が厳しかった分、一人のプロフェッショナルとしても成長できたと思っています。
写真11
本木
山内さんのお話にもありましたが、「この仕事は100%価値がある」と思えることは、苦しいときの原動力にもなりますよね。当然、仕事のなかにはやりたいこともあれば、ちょっと苦手だなとか思ったりすることもあるなかで、たとえ困難な状況であったとしても「この仕事は絶対に必要なんだ」というのがあると乗り切りやすいというか、健全に乗り切れる(笑)
山口
やっぱり東北に行ったら行ったで葛藤はあって。「いいことしているね」と言ってくれる人ももちろんいますが、ただ、そうじゃない人も一定数いて。そこはやっぱり、疑問はあるわけで、その人たちは。「おまえら、どうせ何もしなくても金もらえるんだろ?」みたいなところはたぶんあって。で、「社会にいいことみたいなのを、何となくやっていれば、生きていけるやつらがおまえら」みたいに見る人たちは少なからずいると思うんです。僕自身はプライドを持って、そうじゃないってことをやっていたという自負はあるんですけど、そういうふうに言われるたびにすこし葛藤を感じていましたね。そういうつらい瞬間を乗り越えるためにも、やっていることには価値があるって信じられることは大事だと思います。

その後の
キャリア形成について

企業とNPO、
その狭間にいるからこそ
新しい価値を提供できる

山口
ここからはソーシャルセクターでの経験が、どのようにキャリア形成に生きているかをテーマに話しましょうか。
山内
僕の場合は、「部署の責任者を務めてほしい」というオファーをもらった時点で、経営陣には「ある程度期限を決めてやらせてください」と相談して、「資金調達を軌道に乗せるまで、1年半くらい」という話になっていたんです。結局、1年半ではまだ軌道に乗せられず、2年、3年と延びて(笑) 3年経ってようやく、ある程度までは仕組みを整えられたんですね。後任も育ってきたので、ここで責任者としては退任させてもらってということになりました。ただ、アドバイザーのようなかたちで、引き続き関わらせてもらってはいます。僕の場合は、ソーシャルとビジネスの両方のお仕事をやらせてもらっているんですけど、それがすごくいいなということを思っていまして。企業の側でもソーシャルを取り入れていこうという気運が高まっていることもあって、商品の売上の一部をNPOに寄付するというCSRのプロジェクトのお手伝いをさせてもらってもいます。企業さんにとっては単に社会貢献だけではなくて、お客さんの離脱を防ぐというビジネス上の狙いもあります。ビジネスとソーシャルの「狭間(はざま)」のような位置にいるからこそ、出せる価値もあるのでは?と最近では思うようになりました。
山口
ある種、両方知っているからこそ、ソーシャルだ、ビジネスだという枠に加えて、その間をつなぐという、もうひとつの可能性が生まれてきたということでしょうか。
写真12
山内
そう言ってしまうと偉そうに聞こえるかもしれませんが(笑) つなぐという意味で、逆の観点だと、NPOの世界だけにいては得られないような、マーケティングの最先端の事例に、実際に仕事として携われる。で、それをNPO側に移植して実践できるというのは、すごくありがたいなと思っていて。企業からNPOに移転できるものもあれば、先ほどのCSRの例のようにNPOから企業のほうに持ってこれるものもあるというのが、面白いなと思っています。
山口
本木さんはいかがですか?
本木
キャリア形成にどう生きるかですよね?企業でこの仕事のためにこれが必要だ、というよりも、自分の人生を生きるうえでこういうのがあったほうがいいよね、という視点でキャリア形成ができるようになったことでしょうか。ソーシャルセクターの方が職員の人数だとか、あと事業基盤だとかの伸び方というのが、ビジネスに比べると少なかったり、弱かったりというところがあるので、それをよく取れば色んなことができるようになると。なんでもかんでも外注できないという状態にいれば自分でやるのが当り前になりますし、メールマガジンの配信とか、そういう広報的なこととかも「自分でやります」となってきますよね。かつ、それをやりたいと思ったときに協力を求められるので。外で第一線でやっている方こそ、ソーシャルセクターに興味を持ってくださる方も多いんじゃないかなというふうに私は感じていて。そういう人たちと直接やり取りができる、たぶん、一般企業だったらすごく上の人たち、恐れ多いみたいな感じの人にも、「こんにちは」みたいな感じでいけるんですね。そういう人と仕事をさせていただくと、視点が上がると言うか、できることが増えるというか、学ぶべきことがたくさんあると思っていて。
山内
メールマガジンの経験が、その後のPR会社への転職にもつながった?
本木
そうですね。私はかものはしプロジェクトにいたときに、会員さんとのコミュニケーションみたいなものもやっていて。寄付をしてくれる人たちに対して、どうコミュニケーションしていくかというので、本当に困難なんですけど、それもなかなか面白くてPR分野に興味を持つようになったんですね。それは今も面白いなと思っていて。そういう分野の第一線の人とやらせてもらうこととかもあって。誰がやるというのも特に決まっていない組織だからこそ、やりたいと言ったらやらせてもらえるみたいな。やりたいことができる的なこともあると思うんです。
山口
そのあと、またソーシャルセクターにお戻りになっていますが、また違うところを伸ばしていきたいというのもあったんでしょうか?
本木
それは、もうひとつ視点があって。働きやすさですね。
山内
働きやすさ?
本木
現在は子どもを保育園に預けながら働いているんですけども、子どもが5カ月のときに職場に復帰して、時間の多さとかにとらわれずにパフォーマンスを評価してくれる会社を求めるようになったんです。働きやすさで言えば、ETIC.は本当に自由なので、自由に働けるという働きやすさと、やりたいことというのが両方ともマッチしていて。
山口
ある種、ソーシャルとビジネスの両方を経験することで、双方を垣根なく働く場として考えられるようになったということでしょうか。どちらでも活躍できるイメージができるというか。
本木
本当にそうですね。セクターを気にすることはなくなりましたね。ずっと企業で働いている人だとNPO業界はよくわからないと思われることもあるようで、企業のCSRの担当の方が「なにかやりたいんだけどどうしよう」みたいなご相談にいらっしゃることもあるんですね。ETIC.を通してもらうことでそれをソーシャル側に通訳することができますし、コミュニケーションを円滑にさせることができるというのも実感していて。現在ではそういうお仕事もいただいていたりするので、ETIC.では自分が培ってきたものが生かせるかなというふうに感じています。
山内
本当に可能性が広がっていますね。
本木
そうですね、毎日楽しい感じですね(笑) 山口さんはどうですか?
写真13
山口
私は8年働いて1年休むというプランを描いているのですが、その1年にあたるソーシャルセクターの経験で、その後の8年のはっきりとした仮説をつくることができました。それが僕にとっては、今後のキャリアにとって一番大きなものだと思っています。ソーシャルの世界にいると、「人が豊かに生きるためになにが必要か」という熱い議論がすごく起きているんですよ。で、それが金になるかと言うと、ならないんですよ。だけど、中長期レベルで「人というのはそもそも、どういうことをしているのが幸せで、誰とどういう時間をすごすのが幸せなのか」を真剣に考えて、その理想と現実のズレみたいなところを埋めようとみんな必死に頑張っていて。そういう人たちとの議論によって、今まで走りながら考えていた“その後の8年間”の仮説というものを、全く別の視点で見ることができるようになったんです。普通に働いていたら会えなかったかもしれないような人たち、「人間ってそもそも」みたいなことを熱く議論しているような人たちとの触れ合いは、僕自身の人生にとって大きな財産になったと思っています。
山内
8年間のキャリアプランでは何かお考えがあるんでしょうか?
山口
問題意識ベースでお話すると、ひとつは地方をテーマにやっていきたいなと思っています。もうひとつは海外。そういう人たちの豊かな暮らしというものが日本にはあまり入ってきていないというのを今すごく実感しているので、そういう文化のエクスチェンジといった領域については非常に興味を持っていますね。あと、もうひとつのテーマは健康なんですね。医療というよりかは、健康。そういう様々なテーマに沿った事業というものを自分でつくるのか、どこかの会社に飛び込むのかはまだ決まっていませんが、なるべく早く次の5、6年を考えようと今はしています。
山内
本木さんはいかがですか?
本木
キャリアプランとか、ないんですよね(笑) もう今を生きる的な感じです。
山口
それもひとつのキャリアプランですよ。
本木
正直、キャリアプランと呼べるしっかりしたものは全然なくて、とにかく私は人生を幸せに生きるということを大切にしています。それはもちろん私だけが幸せという意味じゃなくて、家族や友人、同僚、パートナーといった周囲の皆が幸せでいてほしいなと。で、もうひとつ思っているのは、私は頑張っている人を応援するのが好きなんだろうなということ。色んな人と一緒にいるというのが楽しいって思える性格なんだなと思っていて。そのふたつにおいてETIC.の仕事はすごく魅力的な組織ですし、これからも仕事を続けていきたいと考えています。これからの成長というところに踏み込んで考えると、今はより自分で身につけたい能力だとか、スキルというのは徐々に見えてきているので、それを年々やっていくみたいなのが私のキャリアプランでしかなくて。なんでしょうね、そんなに「10年後の私はこうあります」みたいなのは、正直思い描けていないと(笑)
山口
先ほどもありましたが、こういったものが伸ばしたい能力だとか、ここが足りないという想いがあったら、それを成長させていくという感じですかね。
本木
そうですね。それによって別にフリーになる気があるとか、そう言うわけじゃないんですけれども、ETIC.はもちろん、どこにいても必要とされる、頼ってもらえるとか、そういうプロになりたいなというふうには常々思っていて。どこでも生きていけるじゃないですけども、そんな理想の姿になるために今求められる能力を今後も伸ばしていきたいなとは考えています。
山口
山内さんはいかがですか?
写真14
山内
僕も本木さんと同じで具体的なキャリアプランは、全然決まっていません。ただ、さっきお話したみたいに、ソーシャルセクターと、ビジネスセクターの狭間にいることによって出せる価値ってあると思っていますし、そのポジションのなかでダイレクトマーケティングという専門性をどう生かしていくかということを日頃から考えています。仕事以外の広い意味でのキャリアという観点では、いま独立してフリーランスでやらせてもらっているのは、ある種、充電期間みたいなふうにも少し捉えていて。NPOにいたときは勤務時間も長かったですし、「120%で全力疾走する」みたいな感じだったんですね。でも、やっぱり結婚したりとか、子どもが生まれたりというのもあって、少しスピードを落として家族との時間も大切にしていこうと思って独立をしました。独立を機に、東京から湘南へ引っ越したんですけど、昔から「海の近くに住みたいな」と思っていた夢を叶えました(笑)基本的には自宅で仕事をして、週に2・3日は東京のクライアントを訪問していまして、ある種、「組織や場所にとらわれない」という働き方を実験している、と自分では意味づけています。お仕事の種類も、今は食わず嫌いせずに、ご縁の中で声をかけてもらった仕事をさせてもらっているんですけど、ソーシャルに関わる仕事ってやっぱり楽しいなということを、独立してから改めて実感するようになってきました。これから社会貢献にお金や時間を使うという人がますます一般的になってくると思うのですが、マーケティングという専門性を活かして可能性を広げられないか?考えていきたいと思います。

転職者への
メッセージ

0か100かではなく、
もっと柔軟な発想で
ソーシャルに挑戦してほしい

本木
そろそろ時間も迫ってきたので、最後のテーマに移りましょうか。
山内
転職者へのメッセージですか。
山口
じゃあ、私から(笑) メッセージで言うと、僕は1年間ソーシャルにいて、すごく大きなものを得た経験があるので基本的にはお薦めです。ただその一方で、ソーシャルと一言で言っても色んな人たちがいるので、きちんと見極めたほうがいいというのはありますね。ビジネスと一言で言っても色んなビジネスがあるように、ソーシャルと一言で言っても色んなソーシャルがありますし。出会ったところにとりあえず入るというのではなく、そのNPOがどんなテーマに取り組んでいるのか、どんな人と一緒に働けるのか、そういうことを情報収集するなりしてしっかりと見極めてほしいと思います。
本木
私のメッセージは、「身構える必要はない」ということですね。そんな気負ってソーシャルセクターで働く必要はないと思うんです。ただ、山口さんが仰っているように、最近はプロボノとか色んな関わり方が生まれているので、そのNPOのことを詳しく知るという意味でも、まずはそういった活動に参加するところから始めてもいいんじゃないかなと思っています。ソーシャルセクターの場合は社会人でも「ちょっとだけ関わる」ことがしやすいですし、企業に比べると前もって中身は知りやすいというところもあると思うんです。
山内
いざ「転職」となると、ビジネスかソーシャルか?ゼロか100か?のように捉えると、やり甲斐と収入のジレンマに悩んでしまう方もいらっしゃるかもしれません。本木さんがお話しされていたように、NPOにはいろいろなかかわり方がありますし、仮にNPOで働くという決断をした場合にも、「週3日はNPOで、2日は別の仕事を」という働き方をしている人も、なかにはいます。僕も転職前の会社とカタリバの両方に大きな理解をいただいて、そのような働き方をさせてもらいましたが、これから組織のあり方がどんどん変化していくにともなって、だんだん一般的になるかもしれません。もしNPOで働くことへの不安があったら、頭を柔らかくして「クリアできる方法はないかな?」ということを考えられると、なにか新しい扉が開けるんじゃないかなと思います。
山口
やはりこうやって皆さんのお話を聞いていると、ソーシャルセクターとビジネスセクターの垣根は本当になくなってきていると感じますね。
本木
そうですね。本当にただステージが違うだけ、という感じです。
山内
そろそろお時間のようですので、この辺でお開きにしましょうか。
本木
今日は長時間ありがとうございました。
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